『風に向かって飛び立つ白鳥のように』|第一部 風向きが変わる

第3章 一通の手紙

2005年原稿・Web版 全24章

『年商一〇〇億円、洗濯機専門メーカー名物社長が語る夢の製品』

四ページで組まれた対談形式の記事だった。

宗像むなかた社長: 衣類は人生の九七%以上の時間、身に付けているものです。肌に直に触れる衣類をいかに清潔にやわらかく、そして優しく洗い上げることのできる洗濯機を作り上げるかが私の人生をかけたテーマです。

――――: 以前、布団メーカーかどこかの宣伝で似たようなキャッチコピーを見たことがありますが、確かに衣類はそれ以上の時間身に着けていますね。

宗像社長: 現代の人たちはどんどん清潔を求めるようになってきています。目に見えない汚れ、ばい菌にまで気にするようになってきている。それも時代の流れとして仕方のないことだと思います。だから私どもは、衣類繊維一本一本にまで気を使うような洗い方ができる洗濯機を作り上げるのが使命だと考えているのです。

対談の話題が環境問題におよび、内容は次のように続いていた。

――――: 将来的には洗剤の不要な洗濯機も可能でしょうか?

宗像社長: 洗剤の使用による環境汚染が騒がれてから既に二十年近くになります。各メーカーはこぞって研究を進めています。ただ、現時点では洗剤を不要とする研究よりも、環境に優しい洗剤を如何に作り出すかという研究のほうがはるかに進んでいます。洗剤を使う以上、まったく環境に影響を与えないというのにも限界がありますから、いずれは洗剤を使わない洗濯機の研究のほうが優先されるようになると思います。あと五年もすれば洗剤を使わない汎用品も出まわるようになるんじゃないでしょうか。

――――: 御社でもそういった研究をされてる?

宗像社長: もちろん行っていますが、当社の研究はそんな程度にはとどまりません。どちらかというと、今までの研究開発というのは、社会に要求されてはじめて進むという状態にあったんですね。きれいに洗濯できる洗剤が求められたから洗浄能力の高い洗剤が開発され、かさばらない洗剤が求められたからこそコンパクトな洗剤が開発された。そのように利益追求が先行しているうちに環境への影響というのがクローズアップされるようになってきたんですね。

これからは、社会の要求が出てから対応するのではなく、少々費用がかさんだとしても、目先の利益にとらわれない研究開発活動というのが大切だと思いますね。ある自動車会社が発売したハイブリッドカーなどはその象徴的なものだと思います。開発費用が回収できるには相当な期間がかかるでしょう。でも、社会は必ずその商品を求める方向に移り変わる。誰かが早いうちからそのきっかけを作ることが大切だと思います。

私の目指す洗濯機というのも、そうありたいと考えているのです。私どものような小さな 会社では、なかなか先行投資できるような余裕はありません。でも、私はそのハンディキャップをアイデアである程度は埋めることができるのではないだろうかと考えています。

――――: 何か画期的なアイデアをお持ちのようで、是非その部分をお聞かせいただきたいですね。

宗像社長: 実は、私の描く近い将来の洗濯機というのは、医療に結びつくようなものなのです。

――――: 医療。といいますと介護の分野であるとか、バリアフリーに関するものとかでしょうか?

宗像社長: いや、そうではありません。私が目指しているのは、予防医学、未病医学といった分野です。つまり、その洗濯機で洗った衣類を身に着けていると風邪をひきにくくなるとか、疲れにくくなるとかそういったものです。

――――: それはすごい製品ですね。

宗像社長: 病気になったら病院に行って薬をもらいます。でも、最近は健康ブームとかで、個人個人が日頃から健康を意識するようになった。できるだけ薬に頼らないようにと意識しはじめています。なってしまった病気は仕方ないですよ、過労とか疲れで。

薬を飲むことを服用するといいますよね。あれは昔、薬は服に縫い付けて衣類の上から使用していたからそう言うのです。その時代はよかったと思います。確かに薬の効果は小さかったかも知れませんが、その点副作用もほとんどなかったでしょう。最近は医療技術がものすごく発達していて、かつて不治の病と呼ばれていた病気も薬ひとつで治ったりします。ただ副作用もものすごく強い。

いずれは先人の知恵に再び目を向ける必要もあると思うのです。

私が作り出す洗濯機で洗うと衣類そのものが薬になる。これは売上とか利益とかいった次元のものではないんです。本当に喜んでいただける良い商品、必要とされる商品を私は世の中に出したいと考えています。

――――: 社長のお話を伺っていると夢が広がりますね。服が薬ですか。服を服用。実現できればすごいですね。具体的にはどのようなやり方で研究されているのか興味が湧きますが。

宗像社長: それは企業秘密ですから(笑)。ただ、はじめの頃はいろいろと的外れのこともしました。ハーブとか漢方薬とかを衣類と一緒に洗ってみたり。これは大失敗でした、臭くてとても着れない(笑)。

――――: それは面白い。

宗像社長: ただ、失敗から思いがけない発明が生まれることだってあるんです。いつも研究開発者たちには言っていることなのですが、思いついたことはどんどん試してみろと。

――――: いつ頃実現できそうですか? その夢の洗濯機は。

宗像社長: あと十年以上かかると思いますね、もしかしたら二十年かかるかも知れない。その頃私は八十近くになっています。でも、夢を実現するまではくたばりませんよ(笑)。

ページの上半分は、つややかな笑顔で熱く語る宗像社長の写真が掲載されていて、その横に会社概要と宗像の簡単なプロフィールが載っていた。

《アランドリー株式会社》

一九六三年 十月 宗像技巧社として設立

一九九七年度売上 一〇〇億円  従業員数 二〇〇名

支店営業所: 全国十一ヶ所 工場: 新潟県、中国上海に建設中

代表取締役社長 宗像むなかた泰造たいぞう

一九四三年 新潟県生まれ。

新潟水原商業高等学校卒業

日本洗浄機器工業会副会長

優誠経営塾 理事

八三年 近畿通商産業局長表彰

九六年 東京都功労者表彰

九七年 消費者志向優良企業通商産業大臣表彰

九七年 社団法人大阪納税協会長表彰

何気に手にした雑誌でこの記事を目にした店町は、宗像という人物が描く夢に強く惹かれた。

これまでの店町は、周囲の期待に応えようという思いだけで生きてきた。しかしその思いは、自ら湧き出たものではなく、いつも周りが準備したものだった。社会貢献という大きな目的のもとに明確な目標を持って、湧き上がる想いを語らずにはいられない、という雰囲気の宗像の生き方を店町はうらやましく思った。

店町はその雑誌を手に電算機コーナーのパソコンの前に座った。

会社のホームページは見つからなかったが、宗像泰造という名前で検索すると、『日本洗浄機器工業会』のページにたどり着いた。そこに掲載されていた『アランドリー株式会社』の住所をメモ用紙に書き写して店町は図書館を出た。

学生たちのいる中庭を歩きながら、店町は図書館で目にした記事の内容に想いを巡らせた。個人個人が少し心掛けるだけで健康の日常化を提供する洗濯機。これが本当に実現できればどれほどすばらしいことだろうか。

自然界には苛酷環境に耐性を持ち、人間にも害を与える細菌が数多く存在している。日本では、あらゆるものが抗菌処理され、過剰なまでに消毒されるようになっている。病原菌にとっては非常に住みにくい環境のはずである。その反面、人間の抵抗力が低下しつつあるというのも事実だろう。ストレスや過労で人間は簡単に風邪をひき、熱を出す。自分が研究している病原菌にではなく、人間は日々の健康管理不足のために病気になっていくのである。

細菌に汚染されているかも知れない白衣の取り扱いに惑い、実験サンプルの廃棄にも気を使う。そのような生活を続けてきた店町は、生活に密着する製品を通して健康管理の日常化を実現する、という宗像の夢の続きを知りたいと思った。自分が夢だと思い込んでいたものは、実はすべて周りが用意したものに過ぎなかったのかも知れない。自分が今まで想い描いていた研究者としての夢はいったい何だったのだろうか。この先、どうすればいいのだろうか。店町はその答えを求めはじめていた。店町はアパートへの帰り道、少し遠まわりしてコンビニに立ち寄って、図書館で手にした雑誌を買った。

記事を何度も読み返すうち、店町は宗像という人物に実際に会って話をしてみたいと思うようになった。狭くなりかけていた視界が少し広がった気がした。

数日後、店町は宗像社長宛てに一通の手紙を書いた。学内では佐藤容疑者が窃盗罪と威力業務妨害で起訴されたというニュースが話題になっていた。

宗像社長に宛てたその手紙には、店町が今まで目指していた夢、なぜ目指すようになったのか、それが今は、ある事件をきっかけに何もする気がなくなってしまっていること、その想いに至った事件周辺の人間模様にも触れていた。無駄な時間だけが過ぎていくもどかしさを何とかしたい、という切実な思いを店町はありのままに手紙に書いた。日中は留守にしていることが多いと追記したうえ、手紙の最後にアパートの連絡先を記しておいた。

内心は起訴された佐藤容疑者のことが気になっていた。

独立行政法人化に新たな動きが生まれていた。『中央省庁等改革基本法』が国会で成立となり、国立大学も法人化の対象として検討されるようになっていた。佐藤が強く望んでいた動きである。しかし想像された通り、対象となる国立大学と、その後ろ盾である文部省(現文部科学省)は法人化に強く反対した。

「権力を一度手にした者は、その既得権を失うことを強く恐れ、改革に強く反対するだろう」

かつて佐藤が話していた言葉通りの動きだった。佐藤が事件を起こさずにいたとしたら、この独立行政法人化の動きを見てどう話してくれただろうか。教授会に呼ばれて意見を求められたら、どう発言するのだろうか。これが、佐藤が待ち望んでいたタイミングではなかったのだろうか。

佐藤容疑者に関して周囲から耳に入る噂話は真実とも虚偽とも判断のつかないものが多く、腹立たしさを覚えるばかりであったから、店町は事件のことをあまり気にしないようにと努めた。

店町が手紙を投函して三日目の夜に電話が鳴った。既に午後十時を過ぎていた。宗像の秘書、刈谷と名乗る男からだった。受話器から聞こえる声は、真面目さと几帳面さを想像させるに十分だった。応答する店町の声は硬くなった。

社長につなぐから待つようにと言われ、店町は受話器を握りなおしてしばらく待った。保留音の聞こえるその時間は長い。

店町の周りには、就職活動をしている学生はほとんどいなかった。学部三年生のときには何名か活動をしてはいたが、そのほとんどは教授の紹介を受けて形式的な面接を受けただけで大企業の内定を得ていた。就職活動をすることなく大学院に進学した店町は、これまで民間企業の人事担当者とすら話しをしたことがなかったのである。

佐藤容疑者起訴の事実を知った勢いで手紙を書いた数日前よりも少し冷静になっていた店町は、自分は大層あつかましいことをしてしまったのではないだろうか、と緊張の中に思った。

「アランドリー社長の宗像ですが」

保留音が途切れて、受話器から厚い声が聞こえた。記事から受けた印象よりも少し厳しさを含んだ声である。ビジネス誌に載っていた宗像のつややかな丸い大きな顔が店町の頭に浮かんだ。

店町はお礼の言葉を述べるので精一杯だった。一度会って話をしたい、人事の者から改めて連絡を入れさせる、との短い内容でその電話は切られた。店町の手は汗でぬれていた。

この時点では、店町のアランドリーに入社したいという思いはそれほど大きなものではなかった。自分が置かれている状況、将来に向けて悩んでいる事実を誰かに打ち明け、現状を打破するきっかけ、そのための適切なアドバイスがほしかった。どう行動すればいいのかわからない。担当教官や周りの学生に相談してもそのきっかけは、まったくつかめずにいたのである。

宗像から人事担当課長代理の小竹に指示があったのは、店町に直接連絡の入った翌朝のことだった。面接を設定するようにと店町からの手紙を手渡された小竹は、事務的に面接日時を設定した。宗像の多忙なスケジュールの中、面接は二日後の午後三時と決まった。

店町は約束の時刻より三十分早くアランドリービルに到着した。新大阪駅中央口から歩いて十分の距離である。十階建てのビルの外見は、奥行きこそあまりないが、道路に面した間口は広い。一階部分は三等分されていて、中央が正面玄関、その両脇が駐車場になっていた。それぞれ四台程度置けるとみられるスペースには、社名の入ったワンボックス型の営業車が二台ずつ止まっていた。向かって左側の玄関寄りの位置に二台分のスペースを使うようにして、黒光りしたセンチュリーが止められていた。他の営業車と違って、この車の手入れはとても行き届いている様子である。

店町はビルの周りをしばらく歩いて辺りを観察した。夏真っ盛りの時期のスーツ姿は辛い。店町は額の汗をしきりに拭いながら建物を見上げた。社長室のある最上階は他のフロアから少し奥まった構造になっていて、下からは見えなかった。アランドリービルの両隣には、同じ高さのオフィスビルが並び、裏側には少し高いレンガ色のマンションが建っていた。細い道を挟んでそのマンションの向かい側には小さな公園があった。暑い時期のオフィス街の公園とあって、そこで遊ぶ子供の姿はなかった。

店町は腕時計を見た。約束時刻の十分前になっていた。店町は上着を着て玄関を入った。ロビーはエアコンが程よく効いていた。受付カウンターには誰もいない。店町は受話器をとって、『社長秘書 刈谷』と書かれた内線番号を押した。

ワンコール鳴るか鳴らないかのタイミングで応答があった。とても丁寧な対応である。

店町は、受付横にある鏡でネクタイの結び目を確認して、エレベーターに乗った。十階のボタンの横に『社長室』『社長秘書室』『海外事業部』のプレートが貼ってある。

店町は表示される数字が増えていくのを緊張した心持で眺めながら、途中で誰か乗ってきたら嫌だなと思った。店町にとって、一般企業に足を踏み入れることの抵抗はとても大きかったのである。

エレベーターの扉が開くとそこに男が立っていた。

「店町さん。ですね」

店町が想像した通りの人物である。きりっと引き締まった顔、スマートに立つ姿はいかにも切れ者、仕事のできる男といった雰囲気を漂わせていた。歳は三十五、六。目つきは鋭く、動作に無駄はなかった。ダークグレーのスーツに、少し細手のネクタイをセミウィンザーノットで結び目を小さくまとめていた。

エレベータホールを挟んで、右手が『社長室』、左手が『秘書室』『海外事業部』である。店町は刈谷に付いて秘書室に入った。

「いらっしゃいませ」

フロアにいた五名が一斉に立ち上がり、店町に向かって頭を下げた。爽やかな笑顔だった。店町は少し戸惑いながら軽く会釈した。

秘書室と海外事業部のデスクは、境目なくひとつにまとまっている。若い女性が三名と若い男性一名、責任者と見える年配の男性が一名、それと刈谷がこのフロアのメンバーだった。女性社員たちは私服で仕事をしていた。

接客スペースで待つようにと言われ、店町はそこに座って室内を見まわした。デスクの数に対してパソコンは半分しかない。その代わり旧式のタイプライターが二台置いてある。業務の一部はまだ電子化されていない様子だった。扉寄りの席に戻った刈谷は、手帳を開いてスケジュールの確認をはじめた。刈谷のデスクの上には最新式のノートパソコンが置かれていた。

接客スペースの正面に、もうひとつ扉があった。木目調の扉には『社長室』の札がついていた。ホールに出なくても秘書室から扉ひとつ隔てて社長室に行き来できるつくりのようである。

電話が鳴った。

海外事業部の北野という女性が日本語で電話に出て、そしてすぐに中国語での応対に変わった。

「顧コ小姐シャオヂェ、上海工場の董トウ副総経理から電話です」

電話を継いだ顧という小柄な女性は中国人のようである。長い黒髪に眼鏡を掛けている。ときおり日本語を交えながら早口の北京語を話した。彼女の隣にいる男性社員は英語で電話を掛けていた。流暢な英語ではなかったが、活きた英語である。店町はその様子を見て、自分が今いる世界と明らかに違う環境に新鮮な驚きを覚えた。

秘書室の扉が開いて、ひとりの男が入ってきた。

「店町さん。人事の小竹です。まぁ、座って座って。今日はよろしくお願いします。社長は店町さんのこととても気に入っているようです。堅苦しい面接ではありませんから、リラックスしてください。はい」

せわしないしゃべり方で、そそっかしさを感じさせる動きである。小竹は店町の前に座って、手紙に書いてあった事件のことについてあれこれと一方的に話しはじめた。店町は小竹の勢いに少し押されるように「ええ」とか、「まあ」とか答えた。

店町が相談のつもりで書いた手紙がきっかけで、いつのまにか入社面接のような雰囲気になっていた。

デスクにいた刈谷が立ち上がった。午後三時を知らせる時計の音がどこからか小さく聞こえた。刈谷は、「それでは」と言って社長室の扉の前に進んだ。店町があとに続き、さらに小竹が続いた。

社長室は広かった。六名掛けの商談テーブルの奥に、L字形の大きなデスクがあり、宗像がハイバックチェアに座って新聞を読んでいた。店町が刈谷に案内されて中に入ると、宗像は眼鏡をはずして笑顔で迎え入れた。

「店町君だね。待ってましたよ。それじゃ、そこに座って」

商談テーブルの中央の席を示しながら宗像がデスクから出てきた。

「大阪医科理科大学大学院生の店町です。本日はよろしくお願いします」店町は大きな声でそう言って、商談テーブル中央の席に座った。すわり心地のいい革張りの椅子である。

店町の正面に宗像が座り、その右に刈谷、左に小竹が着いた。

「手紙、読みましたよ。大変な事件に巻き込まれてしまいましたねえ」

椅子に深く腰掛けた宗像が店町の顔をしっかり見つめて話しはじめた。その表情は温かく、人の心を吸い寄せるような目だった。

「でも、これは何も悲観しなくていいですよ。これから社会に出たら、いろいろな壁に遭遇します。それもひとつひとつに真剣に取り組めば、うまく乗り越えられるものなんですよ」

やわらかい口調だった。宗像の声は店町の緊張を解きほぐす不思議な力を持っていた。

宗像は対談記事に載っていたのと同じ夢を語り、そして話は、仕事への情熱、取り組み姿勢、人生の喜び、人の心の優しさといった人生論へと続いた。宗像の口から直接語られるそれらの話は、店町の心に深く浸透した。

「店町君。きみはあの手紙の中で、今やっている研究に喜びが感じられなくなった、と書いていたね」

店町は、自分が書いた手紙を真剣に読んでもらえたことをうれしく思い、明るい返事を返した。

「あなたが感じているその部分こそが人生で一番大切な部分なのです。仕事の場合は特にそうです。生活にお金が必要だから働く、それだけでは良くありません。働く以上は苦労もあります。苦労があるからこそ喜びもある。喜びを感じられる環境を自分でいかにして作り出すか、切り開いていくかということを常に考えていないと駄目なんですね」

宗像はここまで話して少し間を置いた。宗像の話に聞き入っていた店町は、湯飲みに手を伸ばす宗像の顔を見ながら軽く何度か頷いた。

「店町君は、優誠経営塾というのを知ってますか?」

店町はとっさに「いえ」と答え、そしてすぐに雑誌のプロフィール欄に載っていたことを思い出して「確か、社長が理事をされているとか……」と付け加えた。

「そう。K&Yの創業者、米光会長が作られた経営者のための私塾です。K&Yは知っていますよね、グループ合わせての売り上げが一兆円を超える大企業です。米光会長が四十年余りでそこまで大きく育て上げられた企業です。その塾での教えというのが経営ノウハウだけでなく、人間として生きていくうえでとても大切なことをテーマとしています。心を高めて経営を伸ばす。全国に四千名以上の塾生がいます。企業経営者だけではありません。若手の国会議員も米光経営哲学を学ぼうと熱心に参加しています。

考え方や行動特性もそれぞれ違う人たちが集まるこの人間社会で、生きていくうえで一番大切なものは何なのか、店町君はわかりますか?」

店町の答えを待たずに宗像は続けた。

「お互いを理解し合う心ですよ、心。ときに厳しいことを言い合い、ぶつかり合い、それでも最終的には和やかな関係を築いていく。その根底にあるものは、やはり人間の誰もが心の中に持っている優しさなんですよ。仕事を通してそのことを学んでいく、それが大切なことなんです」

面談が終了したのは午後五時を過ぎていた。店町は深々と頭を下げで社長室を出た。

フロアの五名は黙々と仕事をしている。店町が丁寧に礼を言って部屋を出ようとすると、皆立ち上がって「ありがとうございました」と店町に向かって頭を下げた。

店町がエレベーターを待っていると、刈谷が秘書室から出てきて一本のカセットテープを手渡した。

「もし良かったら一度聴いてみてください。返却はまた次にお会いする機会でいいですから」

店町は、閉まる扉の前で丁寧にお辞儀をする刈谷の姿を見た。また次に会う機会とはいつなのだろうか。店町はエレベーターの中でテープを鞄の中にしまった。すがすがしい帰り道だった。この先どうすべきかはまだ何も決まっていなかったが、心の糸のほつれはなくなりはじめていた。

カセットテープに貼られたシールには、こう書いてあった。

【優誠経営塾 全国塾長例会(一九九七年十月・ パシフィコ横浜)】

《特別講演 宗像泰造(アランドリー株式会社社長)六十分》

店町はポータブルプレーヤーにテープを入れて、ソファの上に横になった。イヤホンを通して司会者の女性の声が聞こえてきた。一度も行ったことのない講演会場の様子が不思議と店町の頭の中に浮かんだ。

— 第3章 終 —