第14章 上海工場と北京行き
上海工場が稼動して四ヶ月が経過した。しかし当初宗像が想定したほど順調な滑り出しとはいっていなかった。支給部材の遅れや不良などで、工場が正常に機能するには少し時間を要した。宗像は毎月上海工場に出向いて、自らそれらの問題の対応にあたった。特に宗像が頭を痛めていたのは、日本からの支給部材が税関で止められ、製品の組み立てがストップするという事態が頻発したことだった。
将来的には部品のほとんどを中国国内で調達する予定となっていたが、中国製の部品では強度が不足したりサイズが微妙にずれていたり、何かと不安が付いてまわった。日本から部品を支給することで応急処置的にその問題には対応できたが、気まぐれに発生する通関の問題はなんとも頭の痛い問題だった。
支給部材の問題が解決したかと思うと、今度は組み立て後の製品が港から出せないという問題が発生した。追加で税金を支払えば通関はクリアできる。その説明に納得のいかない宗像は、税金を支払うことはけっしてなかった。力技でなんとか通関をクリアして日本に帰ってみると、現地の日本人幹部から連絡が入った。
「社長、また半製品が上海港で止められています。通関の目処も立っていません」
この連絡を受けた宗像は、大きな声をあげて日本人幹部を怒鳴った。
「何のためにお前を中国くんだりに送り込んだと思っているんだ。それを解決するのがお前たちの仕事だろ!」
翌朝のスケジュール確認の際、宗像は午後の便で上海に行くからチケットを手配しておくようにと店町に命じた。
「出発までに百貨店でこの品物を購入しておいてくれるかね。贈り物の包装で」宗像はそう言ってカタログの写真を指差した。輪島塗のセットである。価格を見ると、十八万三千円となっていた。
中国の税関では突然製品の出港規制が厳しくなったり緩和されたりということが繰り返されていた。法律が変わったという理由で前日まで規制対象でなかった品物の出港が止められ、税関幹部と会食の場を持った翌朝には出港が可能となるという事態もとりわけ珍しいことではなかった。大手企業をはじめとして日本からの進出企業はこういった気まぐれな制度に頭を痛めていた。無名の中小企業に対する扱いはさらに厳しかった。
中国では贈収賄に対する刑罰は非常に厳しい。死刑もありえる。百貨店で品物を購入する店町は緊張していた。
新潟の工場では、上海から半製品が届かないため、ラインがストップすることが多くなっていた。正社員にとっては残業が減るだけでそれほど深刻な問題ではなかったが、この問題は組立て検査ラインで働く大半のパートタイマーの生活を直撃した。
「急に休んでもいいって言われてもねえ。私たちは仕事をしたいのよ。仕事がなかったら生活できないのよ。店町さんから社長に何とか言ってちょうだい」
このような切実な声を聞いたとき、店町は、もしかしたら会社として何か間違ったことをしているのではないだろうか、と疑問を抱くようになった。営業担当社員たちは、電気量販店への対応に追われた。主力製品が納期一ヵ月半という状況になっていたからである。宗像はこの事態を打開しようと何度も中国現地に連絡を入れて日本人幹部に指示を出した。
上海工場では、従業員を急激に増やしたため、内輪のもめごとが絶えなかった。事務所では喧嘩がエスカレートしてハサミが飛び交うことすらあった。倉庫では組み立て部品が頻繁に紛失し、手洗い場では石鹸が盗まれ、工具備品の補充も常に必要だった。補充用に置いてあるトイレットペーパーは、三十分も経たないうちにきれいになくなった。日本の常識が中国では通用しない。地方から働くために出てきた労働者たちは生きるためには手段を選ばなかった。常に監視の目を向けていないと問題が発生する環境なのである。宗像が通関対応に追われて工場内部のチェックに目が行き届かなくなると、内部統制が極端に乱れはじめた。
通関の問題を片付けて久し振りに宗像が工場内の査察に入ると、組立てラインの工程にハイヒールを履いて作業する女性がいた。現場に似つかわしくない服装で作業をしている女性の姿も目に付いた。それを見つけた宗像は通訳の顧小燕を介して厳しく指導した。仕事で手を抜くことを許さない宗像は、すぐに着替えを取りに行かせた。
宗像はプレス加工現場の作業員が長袖を着ているのを見つけて、すぐに現場責任者を呼んだ。そして、作業を中止させて集まるように求めた。
「私は以前からプレス加工の作業は長袖を着てやってはいけないと言ってましたね。どうして長袖で作業している人間が何人もいるのですか。私は何度も注意したでしょう」
顧小燕が上海語と北京語の両方で通訳をした。
作業員たちは、ふてくされた顔をしている。隣と話しをしている者もいる。
「私の小指の先がない理由を知っていますか」
顧は宗像の小指に視線を移して、そして通訳した。皆が宗像の小指を見た。
宗像の話を聞いていた作業員たちの態度が少し変わった。その様子を見て、宗像は自分の小指に視線を落として話を続けた。
「プレス機には安全装置が付いています。それは皆さんも知っていますね。今はセンサー式のものが増えていますが、昔の機械のほとんどはワイヤー式の安全装置です。ここにも何台かありますね。プレス機が下がる際に手首に付けたワイヤーが引っ張られて、手が装置内に残らないような仕組みです。使い勝手はいいものではありません。作業に慣れてくれば、そんな安全装置は邪魔になってきます。ワイヤーを付けていると効率も悪い。そのうち安全装置を使わなくなります。私もプレス機の扱いには慣れていましたから、安全装置など要らないと考えていました。服装など気にもしませんでした。そしたらある日、長袖の作業着の袖口が装置に引っかかって、手を装置内に置いたままプレス機が下がったのです。その結果がこれです。一瞬の油断のために私は小指を失いかけた。実際、爪の部分を失った。安全に対する過信、自分に対する過信があったのです。事故というものはいくつかの要因が重なって起こるものなんです」
お昼の休憩時間になって店町は遠慮がちに宗像に話し掛けた。
「社長の小指、そういう過去があったのですね。先ほどのお話、感動しました。作業員の皆さんも感動していたと思います」
「あの当時、困るぐらいに儲かっていたんだ。増産しても委託生産しても追いつかないぐらいに注文が来た。生産を急ぐあまり、安全策を怠った。でも、この小指もときには役に立ってね、商談の際に便利な思いをしたことも何度もあったよ」
そう笑う宗像の目はとても真剣だった。
宗像は午後からも時間の大半を作業現場で過ごした。作業員たちに声を掛け、ねぎらいの言葉を掛けてまわった。
今度は塗装工程の近くで宗像が大きな声をあげた。通訳の顧小燕もたじろぐほど大きな声だった。
「どうしてここでタバコを吸っているんだ!」
タバコを吸っていた作業員は、火のついたタバコをとっさに後ろ手に隠して床に落とした。宗像がその作業員のほうに近づいてゆき、足をどけるように言って吸殻をつまみあげた。
「塗装現場の近くでタバコを吸うということが、どれほど危険なことかわかっているのか君は! 現場責任者は誰だ。出てこい」
宗像は大きな身振りで大声で怒鳴った。顧は通訳できずに宗像の側に立っていた。自分の伝えたいことが何も伝わっていないことに気付いて宗像は少し冷静になった。そして顧に通訳するように伝えて、現場責任者を呼ぶようにと言った。
宗像のほうを見守る作業員たちの中からひとりの男が歩み出てきた。少しふてぶてしい態度である。宗像は常駐の日本人幹部に他の工程の責任者も集めるようにと指示した。
塗装現場にぞろぞろと集まってくる責任者たちは、宗像がなぜそれほど怒っているのかわからない様子である。プレス工程で宗像の小指の話を聞いた責任者の姿もそこにあった。彼だけは少し違った表情をしている。
「私がどうしてこれほど怒っているのかわかりますか?」
作業の音が鳴り響く中、顧ができるだけ大きな声で通訳をした。
「今から三十年近く前。私は日本に新しい工場を建てました。この上海工場の十分の一ぐらいの規模です。それでも日本ではとても大きな工場です。当時で二億円程度の投資です。人民元でいうと……」
宗像は顧のほうを見て人民元での金額の通訳を求めた。
「その工場が、竣工式を前にして全焼したのです。生産を開始する直前に焼けてなくなったのです。事前研修に集まっていた作業員のタバコが原因です。火災保険を掛ける前でした。二億円は一瞬にして皆パーです。わかりますか、そのときの私の気持ちが、今のあなたたちに」
顧が通訳し終えるのを待って宗像は続けた。
「その火事で、自分たちの工場を何とか守ろうと、何とか火を消そうと頑張った何人かの社員が火傷を負って怪我をしました。そのときの私の気持ちがわかるのですか、今のあなたたちに。周りの社員たちのそのときの気持ちがあなたたちにわかりますか。私は、そんな思いをもうしたくない。あなたたちにそんな思いはさせたくないのです」
真剣に話す宗像の言葉が作業員に通じはじめている。集まったときとは違う顔つきで皆真剣に宗像のほうを見ている。顧小燕は少し涙目になっていた。宗像が社員のことを大切に思う気持ちがそこにいる皆の心に伝わったのである。身振り手振りを交えて熱心に話す宗像を見ていた店町も、目頭を熱くした。
今回の出張で上海工場の内部統制は一気によくなった。宗像はその後も毎月一度は上海工場に出向いた。通訳を担当する顧が毎回宗像に同行して現地での秘書的な業務を代行したため、店町が上海工場に出張する機会は少なくなっていた。
このような出張を繰り返すうちに上海工場は正常に機能しはじめた。宗像の狙い通り、原価低減の効果もあってアランドリーの業績はさらによくなった。宗像のアイデアで作り上げた新製品がヒットしたという話題性も好感されて、アランドリーは中国進出に成功した企業として雑誌やテレビに取り上げられる機会も多くなった。
ある時期から、宗像は上海だけでなく北京にも定期的に出張するようになっていた。北京に出張する際のチケットは、宗像自らが知り合いの旅行会社社長に頼んで手配した。社長の手を煩わさないように心掛けていた店町は、「どなたにどちらでお会いになるのでしょうか」と宗像に直接聞いた。
すると宗像は、「中国の要人と空港のラウンジで会って、そして会食に出て打ち合わせをするんだよ」と答えた。先を読んで行動する社長のことだから、きっとこれも中国市場を狙う重要戦略の一つだろうと考えて、店町はそれ以上聞かなかった。
急な北京出張のために、あらかじめ入っていたアポイントをキャンセルしなければならないことも何度かあった。どうしてもキャンセルできない予定の場合には、担当役員とともに店町は宗像の代理として接客に対応した。
宗像の海外各地への出張が続く中、中国入国ビザが切れる時期が来た。中国出張の機会が多い宗像は半年間何度でも渡航可能なマルチビザを取得している。宗像の中国ビザが数日後に切れることがわかっていたので、店町はビザの申請のためパスポートを宗像から預かろうとした。しかしその直前、宗像のヨーロッパへの急な出張が決まったため、ビザの申請はその出張からの帰国後に行うことになった。
ヨーロッパ出張中に宗像のマルチビザの期限が切れた。
上海工場への次の出張は二週間後の予定である。店町はそのスケジュールに間に合うようにビザ申請を旅行会社に手配した。
翌朝、店町がビザ取得完了予定日が三日後であることを告げると、宗像が突然怒りだした。
「店町君、どういうことだね。三日後になるとは。明日からの北京出張に間に合わないじゃないか」
例によって、店町は北京出張の予定を聞かされていなかった。また急遽決まっていたようである。チケットは既に手配済みだという。重要な用件に違いない。店町は自分の段取りミスを責めた。
店町は始業時刻を待たずに旅行会社へと急いだ。旅行会社の窓口はまだ開いていない。横の入り口から入って、店町は担当者に掛け合った。宗像のパスポートはまだそこにあった。事情を説明したが、翌日の出発に合わせて入国ビザの承認を得るのは無理だろうとの回答だった。店町は宗像のパスポートを手に中国総領事館へと自ら向かった。
店町は申請窓口で必死に事情を説明したが、旅行会社で聞かされた通り難しいとの回答だった。
「だから、何度も申し上げましたが今すぐの手続きは難しいのです。無理です、何度お願いされても無理なものは無理です」
隣の中国語対応窓口にも掛け合ったが、言葉すら通じない状況でどうすることもできなかった。社長になんと言えばいいのだろうか、自分が怒られて事態が変わるわけでもないことが店町にはとても悔しかった。暗い顔をして店町は総領事館を出て駅に向かった。
駅の自転車置き場に政党のポスターが貼られている。店町はその前で足を止めた。
店町は手帳をあわてて繰って、そして携帯を手にした。電話番号を押す手が少しあせっていた。幸運なことに、目当ての人物にすぐにつながった。相手は代議士第一秘書の水木である。パーティで一度挨拶しただけであったが、水木は店町のことをよく覚えていた。
店町は事情を話し、困っていることを伝えた。
「わかりました。すぐにそちらに向かいますから、領事館の前で待っていてください」期待させる答えが返ってきた。
店町は領事館の門の前で水木の到着を待った。日本の政治勢力がビザ取得手続きにまで及ぶものかどうなのか、店町にはわからない。無駄な努力に終わるかも知れないが、もしかしたら何か状況を打開するきっかけになるかも知れない。店町はそう期待したのである。
三十分ほどして水木はタクシーで現れた。
店町が水木とともに申請窓口に行くと、先ほど対応した担当者が店町の姿を見ていやな顔をした。
水木が名刺を差し出すと、その担当者は名刺を指でつまむようにして受け取った。名刺を見た。次の瞬間、担当者の態度は一変した。
「これは、失礼いたしました。先ほどのご用件でございますね。上に確認してまいりますので、少々お待ちください」
担当者は、あわてて名刺を両手で丁寧に持ちなおして奥の部屋に入っていった。店町に対する態度とは明らかに違った。店町は担当者の変わりようを少し滑稽にすら感じた。
まもなく担当者が戻ってきた。宗像のビザ申請手続きは既に完了していた。パスポートの中を確認すると、半年間を期限とするマルチビザのシールがしっかりと貼られていた。
店町は国家権力の隅に存在する不思議な力を目の当たりにした。後に知ったことであったが、水木が仕えている代議士はかつて外務政務次官を歴任していたようだった。
「何とお礼を申し上げれば……」
店町は水木に対して恐縮しきっていた。
「いえ、困っている方のお力になれればと、私は当然のことをしたまでです。私も次の衆議院議員選挙に出馬する予定ですから、宗像社長によろしくお伝えください。また、あらためてご挨拶に伺いますと」
水木は店町に対して物腰は低く、とても謙虚な態度だった。自分の背後にある宗像という人物が持つ人脈と影響力のすごさを、店町はあらためて実感したのだった。
会社に戻って店町が事の一部始終を伝えると、宗像はとてもうれしそうな顔をした。
