第16章 売られた喧嘩
特許会議は始業時刻と同時にはじまった。
宗像は相手企業に対して既に喧嘩ごしになっていた。
「栄陽電機も懲りずにうっとうしいことをしてくるもんだ。どう思いますかね、弁理士先生」
「ええ、今回相手は三製品に対する十五件の特許侵害を訴えてきていますから、すべての警告内容をクリアにするのはおそらく難しいでしょうね」
それを聞いた宗像は急に表情を険しくした。
「何を言ってるんですか、弁理士先生! 今まで、特許管理をあなたに任せてきたでしょう。なんですか、その他人事のような話しぶりは。アランドリーが先に作って売っているわけですから、うちの権利でしょう。警告を受ける筋合いもない。売られた喧嘩は買いますよ、私だって。黙っちゃいませんよ」
店町が今まで目にしてきた特許会議もいつも宗像のペースで進んでいた。宗像が顧問弁理士からの忠告に耳を傾けないことが幾度となくあったことを店町は見ていた。今回の会議もそのような危険なペースで進みかねない雰囲気になっていた。顧問弁理士も宗像のパワーの前では自分の意見を通し切れないのである。
「まぁ、申し入れをしたあと直接訪問して相手の話を聞いてみればいいでしょう。以前、あの会社から取ったロイヤリティーはいくらだったかな? 五千万でしたかね」
「ええ。五千万円でした」
顧問弁理士が答えると、宗像は会議を閉めるようにこう言った。
「もちろん、今回は申し入れを受け入れるつもりはありませんから。相手の特許を潰せばいいんでしょう、潰せば。代替案としても一千万円がいいところでしょう」
店町は宗像の言葉に違和感を覚えた。特許の無効を訴えるには、先方の特許出願前に同じアイデアが世の中に既に存在していたことを証明して新規性を失わせる必要があるのである。
関連する特許だといっても、十五件すべての新規性を失わせるのは、店町が想像するにもおそらく不可能である。遠まわしに説明しようとする周りの忠告を宗像は最後まで聞こうとしなかった。
店町は宗像の名前で栄陽電機に対する回答文を作成することになった。かつて警告文を送り、アイデア使用料五千万円を奪い取った相手であったため、より慎重に宗像の考えを反映させて店町は文章を仕上げた。
回答期限前日、店町が文面に署名をもらおうとドアをノックして社長室を覗くと、宗像がリンリン電話の受話器を手にしてこそこそと電話を掛けていた。宗像の表情はやわらかい。中に入らないほうがよさそうな雰囲気であったため、店町はドアを閉めて自席に戻った。
しばらくして社長室のドアが開いた。
「店町君。何だったかな」
「栄陽電機への回答書面を作成しましたので、ご確認いただけますでしょうか」
「じゃ、中で確認しよう。中に持ってきてくれるかな」
宗像は手紙をデスクの上に並べて置くように店町に命じた。宗像は手紙に手を触れずに文面の内容を確認している。
「よし。この内容でいいだろう。出しておいてくれ」
「社長、ご署名をお願いします」
「ちょっと右手が痛いから、店町君のほうで適当に記名して出しておいてくれるかね」
店町は仕方なくワープロ文字の記名の横に宗像の三文判を押して、内容証明郵便で回答書面を発送した。
その翌日から店町は、顧問弁理士と特許担当技術者とともに国立図書館に足を運んだ。先方の特許を潰すための根拠資料を集めに走ったのである。膨大な情報の中から必要なものを探し出すのは容易ではなかった。
土日返上で一週間図書館に通った結果、ひとつの有力な情報を入手することができた。岡山にある医療機器メーカーが今回の特許抵触問題の中心となっている類似技術を既に二十年前に実用化していたという記録が出てきたのである。古い記録とあって、文字は薄れて図面も見にくい。情報の一部も欠落していた。
「店町君。来週早々岡山に出張して真実を確かめるから、先方のアポイントとこちらのメンバーの調整をよろしく頼むよ。電話でのアポイントだったら断られる可能性が高いから、まず店町君の手紙で願いを伝えて、それから電話で確認を取ってくれるかね。急ぐから今日の夕方速達で頼むよ」
宗像はけっして引き下がらない男である。秘書の立場として社長の命令は絶対である。既に宗像の手足、頭の一部となっている店町にとっても、今回の件で負けるわけにはいかないという気持ちが強くなっていた。
「今度は、隠しマイク付けての出張だってさ」
誰に愚痴るでもなく、店町がこう言うと、斜め四五度前の席に座る佳音が興味深げに反応した。
「それって普通じゃないんですか? 私、会社の面接受けるとき、いつもテープレコーダーで録音していますよ」
店町が少し驚いた表情をすると佳音は続けた。
「だって、個人契約社員の場合、お金の条件とかで騙されたらいけないでしょ。ここの面接のときもしっかりと録音しましたよ。ほら」
彼女はカバンの中から小型のテープレコーダーを取り出して店町に見せた。周りの社員たちも驚いた顔で見ている。
人間社会は信頼関係で成り立っていると考えていた店町は、この佳音の言葉に驚いた。しかしいやな気分ではなかった。少し救われた気がしたのである。長期の海外生活経験が彼女に危機管理意識を高めさせているのだろう。
翌週の水曜日、店町はネクタイピン状の隠しマイクを付けて打ち合わせに挑んだ。岡山駅に降り立った瞬間、店町はかつて直子と付き合っていた頃のことを思い出したが、その思いもすぐに消えた。
「はじめにお断りしておきますが、過去に開発した製品のことをお話しするのはいいです。しかし私もこの歳ですし裁判の法廷で証言してほしいというご依頼だけは受けかねますから。今後どのように展開しようがそれをご了承いただけるのであればご協力できる範囲でお話させていただきます。ですから、まずこの念書にご署名いただけますかね。ここにいる皆さんの」
宗像は少し考える表情を浮かべて、
「わかりました。会長様のご好意に背くことはけっしていたしません。念書に署名させていただきます」と言って念書を手にした。
開発部長、店町が署名したあと、最後に顧問弁理士が肩書きをつけて署名した。店町は隠しマイクのコードが見えていないだろうかと気になっている。
会長の話は製品の開発経緯からはじまって、技術的な内容へと続いた。
「ずいぶん前の開発品だと思うのですが、現物は残っておりませんでしょうか?」
宗像が聞くと、会長は、「あったとしても倉庫の奥のほうに転がっているだけでしょうね。探し出すのはおそらく無理です。今回お持ちの資料のかすれた部分がはっきり書いてある図面資料はもしかしたら手元にあるかも知れませんから、一度探してみましょう。出てきたらお送りします」
今回の出張では望み通りの結果を得ることはできなかったが、一歩前進したのは確かだった。
岡山出張の翌日に、宗像宛に書留速達郵便が届いた。栄陽電機からである。店町は宗像の目の前で封を開けた。宗像は店町の手から手紙を奪い取るようにして読み入った。
宗像の表情がみるみる怒りの表情に変わった。
「明日、栄陽電機に出向くから店町君。今ここで先方の副社長にアポイントを取ってくれるかね。いや、私が話すから秘書が出たら、私につないでくれ」
店町は少し震える手で受話器を上げて手紙に書かれた番号を押した。張り詰めた空気の中、声も震えた。秘書を指定して掛けた電話に、しばらくして男性が電話口に出た。秘書ではなく副社長本人が出たのだった。
店町は受話器の口の部分を手でふさいで宗像に渡した。「副社長ご本人がお出になられました」と小さく言った。
「アランドリー社長の宗像です。どうもどうも、このたびは、どうぞ、よろしくお願いします。さっそく出向かせていただきますので、明日の午後二時ということで、副社長、ご都合いかがでしょうか?」
店町が想像していた喧嘩ごしの態度ではなく、とても愛想のいい声で宗像が話したため、店町は少し面食らった。
翌日、アランドリーのメンバーは午前中に新大阪駅を出発して新幹線で東京の栄陽電機本社に向かった。大企業の商談ルームは、アランドリーのそれとは違って豪華なつくりである。どうやら、特別室に通されたようだった。店町のネクタイには、ここでも隠しマイクが付けられている。
栄陽電機の副社長が三名連れて部屋に勢いよく入ってきた。
挨拶も早々に、
「アランドリーさん。困りますねえ、私どもの特許を侵害してもらっちゃ」と栄陽電機の先制攻撃がはじまった。
副社長は足を組んで椅子にふんぞり返っている。その様子を見た宗像は、はじめこそ謙虚な態度で自分の意見を話していたが、途中で我慢できなくなったようで、
「なんですか、副社長。その態度は。私は、自分の考えを持って、今日ここに訪問させていただいているんです。そのような態度じゃ話にならないじゃないですか!」
「話も何も、今回の件はそっちが悪いんでしょう、明らかに。十五件の特許侵害ですよ。それをなかったことにできるとでもお考えなんですか、宗像社長。今日お越しいただいたのは、ロイヤリティーとしていくら出すのか、その話を持ってきていただけると考えていたからお呼びしたんですよ。勘違いされちゃ困りますねぇ。五億円でも安いと思っている内容をゼロにしようだなんて虫が良すぎますよ」
「もしかして、副社長は以前私が受け取った五千万円のことを仕返ししようとでもお考えなのですか、それは話が違いますよ。あれは決着が付いたことなんですから」
「ああ、あれねぇ、そんなこともありましたな。あれは、私どもは全然悪くなかったのですよ。それが前の担当者が馬鹿なもんだから」
「こんな話じゃ拉致が開きませんね。私も売られた喧嘩は買いますから、裁判でも何でもしたらいいじゃないですか。私は、もう話し合いで解決する気などまったくなくなりましたね、あなたなんかに一銭たりともお支払いする気などありませんから」
宗像は、かつて鬼の宗像と呼ばれていた頃を想像させる表情をしている。真剣勝負になると、サラリーマンとして大企業の役員に上り詰めた人物とは明らかに違うパワーを発揮する。宗像には自分は命を掛けているという自信があった。売られた喧嘩は倍にして返す。事業が軌道に乗りはじめていた時期であったため、宗像は引くことを一切しなかった。
店町が疲れて家に帰ると、ドアを開ける音を聞いて佳音が玄関まで出てきた。
「出張、うまくいった?」
「もう、喧嘩みたいだった。売られた喧嘩は買うぞぉ、みたいな。心優しい社長の発言とは到底思えなかったよ。これも事業を進めていく上で必要なことなのかな。それにしても、最近の社長、暴走気味に感じるんだよな。大丈夫かな」
店町はコートと上着を脱いで、ソファに腰を下ろした。
「私ね、小さいころから日本と違う教育を受けてきたでしょ。されたことはやり返す、目には目を歯には歯をってね。上海の工場で、工具とかハサミが飛び交ったって話あったでしょ。むこうの国では、そういうもめごとって良くあるの。スーパーでも喧嘩してる人を見かけない日はほとんどないのよ。もし見かけなかったら、あれ? 今日は穏やかだな、何か物足りないな、って思うのよ。なんかおかしいでしょ」
そう話す佳音の横で、店町は宗像の発言と怒りに満ちた怖い顔を思い出していた。
