『風に向かって飛び立つ白鳥のように』|第三部 追い風の中の亀裂

第18章 最後の白鳥号

2005年原稿・Web版 全24章

それから数日後、店町は夕刊一面の折り目部分に雪の中を走る白鳥号の写真を見つけた。

『さよなら白鳥号 四十年の歴史に幕』

―来月でお別れ 後輩3特急が引き継ぎ―

青森-大阪間一四〇〇キロを走り続けた特急白鳥号が、二〇〇一年三月二日を最後にこの世から姿を消す。宗像が利用し続けている白鳥号が廃止されるという記事である。

白鳥号は一九六一年に登場して以来、田舎町から大勢の少年たちを産業都市に送り出し、高度経済成長期を支える足として活躍し続けた。七十二年に電力化され、人々の時間的な距離は縮まり、それと同時に心理的な距離も近づけた。その当時北陸では繊維産業と入れ替わるように、原子力発電所の建設ラッシュがはじまっていた。乗客の顔ぶれは、あどけなさの残る若者から工場現場で働く出稼ぎの人々へと移り変わった。

九十年代に入ると、かつて産業地に旅たった少年やその子供たちが、はしゃぎ声をあげながら、お土産を持って帰省列車として利用した。

やがて、飛行機が発達し車内には空席が目立つようになった。

スピードも快適さも飛行機には到底かなわない。便利さを追求する時代に長時間の苦行は敬遠された。そして白鳥号は役目を終えることになった。

宗像は白鳥号が走りはじめた翌年からずっとその列車に乗り続けている。お金があり立場もある宗像が、それでいて時間のない宗像が、毎月のように白鳥号を利用している。宗像にとってこの列車への思い入れは相当なものに違いない。宗像に同行して度々利用した店町にとっても、白鳥号は思い入れの強い列車になっていた。

店町は手帳を開いた。宗像は朝から名古屋に出張する予定になっていた。

店町は夕刊を元通りに折りたたんで宗像の脇机の上に置いた。

社長もきっとその記事に気付くだろう。当日をどのような気持ちで迎えるのだろうか。店町はかつて白鳥号の車内で宗像が車掌を叱った日のことを思い出した。

特急白鳥号が走る最後の日、店町は仕事を抜け出して新大阪駅東口方面にある歩道橋に向かった。店町と同じ目的の人たちがそこに既に集まりはじめていた。歩道橋から見下ろすホームには、カメラを手にした鉄道ファンたちがいる。

時刻は午前十時をまわっていた。大阪駅でセレモニーを終えた下り白鳥号は、大勢のファンに見送られて、午前十時十二分、定刻通りに大阪駅を出た。青森駅まで一四〇〇キロ、十三時間の最後の長旅がはじまった。

必ず来るとわかっていながら、こないで欲しいと願う気持ちが店町の中にあった。下り白鳥号は確実に店町のいる場所に近づいている。

そこにいる皆は、歩道橋手前にあるトンネルのほうを見ている。

店町の側でカメラのシャッターを切る音が連続的に聞こえた。トンネルの中から、下り白鳥号が姿を現した。店町も慣れ親しんだ四八五系のボンネット型、国鉄色の車両である。

白鳥号が店町の真下を通り、歩道橋が揺れた。ホームの端にいた集団から一斉にフラッシュが光った。先頭車両がホームの端を通過すると彼らは向き直って、再びカメラを白鳥号に向けた。

十二番ホームに入る速度はいつもと変わりなく、同じ時刻に同じ場所で止まった。停車時間は短かった。ただ一つ違うことといえば、発車する際に警笛を一つ短く鳴らしたということだった。

歩道橋の上に三脚を立ててビデオを撮影していた初老の紳士は、白鳥号が過ぎ去った後もしばらくホームにカメラを向けていた。

書籍を買いに行くと言って会社を出てきた店町は、次の予定を特に急ぐわけでもなく、まだ歩道橋の上にいた。

「私がはじめて白鳥号に乗ったのは、昭和五十年頃でした」

三脚を片付けながら、男性が店町に話し掛けてきた。白髪の中に黒い髪が少し混ざる小柄な人物である。

「家内と北陸に旅行に行ったときに一度だけ乗ったことがありましてね。記念旅行でした。四十年間も走り続けた列車がなくなってしまうのは、少し寂しいですね」

「私の勤めている会社の社長は、この電車で新潟から集団就職に出て来た方なんです。昭和三十七年だったと聞いています」

白髪の男性は手を止めて店町の話を聞いている。

「工場が新潟県にあるのですが、社長は出張の際にいつも白鳥号を利用してまして、片道七時間近くもかかるのに、わざわざ一泊して次の日の上り白鳥号に乗って大阪に帰ってきたりするのです。飛行機でしたら新潟まで一時間ほどで行けるんですけどね」

「それだけ思い出深い列車なのでしょうね。私は大阪で生まれて大阪で育ちましたから。あの時代、確かに周りには集団就職で地方から出てこられた方たちがたくさんいましたね。皆かなり苦労されたみたいでね」

歩道橋の下を別の特急電車が通り過ぎた。

会社へ戻る店町の歩調は、いつになくゆっくりだった。

「あれ、店町君。本、買ってくるんじゃなかったっけ?」

北野からの言葉に対して店町は答えに詰まった。本屋に行くと言って会社を出たことをすっかり忘れてしまっていたのだった。

夕方になり、宗像から店町に連絡が入った。

「店町君、今、新幹線の中からだけど、六時半過ぎに新大阪駅に着くから迎えを頼むよ。今日は歩いてでいいから。梅田でちょっとした用があるから」

以前も出張の際にお土産の荷物が多いからという理由で新大阪駅まで迎えを頼まれたことがあったが、今回は歩いてでいいとのことである。

店町は新幹線乗り場に近い中央出口に向かった。到着予定時刻を過ぎてしばらくすると、宗像は降車客の一団から少し遅れて姿を見せた。特に手荷物が多いというわけではない。

店町は宗像に指示された通りに切符を買って、在来線の改札から中に入った。店町が知る限り宗像は仕事上で在来線を利用することはない。近距離の移動には車を利用し、京都への出張にも新幹線を利用する。

店町は宗像の鞄を胸の前に両手で抱え、宗像の左側を少し下がって付いて歩いた。宗像の指示を聞き逃さない程度に間隔を空けて歩くこの距離は、かつて刈谷の行動を見て学んだものである。

車内には帰宅途中のサラリーマンたちの姿が多く目についた。

「社長、梅田では何かご予定がございましたでしょうか」

店町はある答えを予感しながら宗像に聞いた。

普段は自ら進んで話しはじめる宗像であるが、今の宗像は様子が少し違う。言葉数が少なく、何か物思いにふけっている様子でぽつりぽつりと話しはじめた。

「特急白鳥号が今日で最後なんだよ」

店町が想像していた通りの答えだった。宗像は上り白鳥号の最後を見届けに行こうとしているのである。

下り白鳥号を今朝新大阪駅で見送ったという言葉が口を突いて出そうになったが、勤務中だったということを思い出して、店町は少し不自然に言葉を続けた。

「十九時六分、大阪駅、二番ホームに到着ですね」

宗像は無言で頷き、そして遠くを眺めた。

二番ホームに上るエスカレータで、宗像は自分の人生を振り返るように店町に話した。

「あれから三十数年、いろいろなことがありましたよ。母に見送られたあの日のことが、ついこの間のことのように感じられますよ。周りの社員に支えられ、皆は給料が支払えないときでも私に付いてきてくれた。だから今、こうしてアランドリーがあるのだよ。特急白鳥号は、私に未来を与えてくれた列車だった。店町君。感謝する心は決して忘れてはいけませんよ」

ホームには、カメラを手にした多くの人たちがいた。電光板には、『特急白鳥号 大阪止』の文字が表示されている。その電光板にカメラを向ける人たちがいる。仕事帰りに駆けつけたと見られるスーツ姿の人たちも大勢そこにいた。

白鳥号の到着時刻が近づくと、ホームにはさらに人が増えた。有名人を出迎えでもするような人だかりになっていた。カメラのフラッシュがあちこちで光っている。向かいのホームで三脚を構えている人たちもいる。

「白鳥号! ばんざーい、ばんざーい」

時折、電車愛好家たちの中から万歳三唱の声があがる。到着時刻が近づくにつれ、ホームの上は期待で熱気に包まれた。

「白鳥号、お帰りー」

向かい側のホームからその声が聞こえ、店町のいるホームからも白鳥号のヘッドライトが近づいてくるのが見えた。

それぞれの思いを乗せた白鳥号がホームにゆっくりと入ってきた。どの車両もほぼ満席である。列車の窓からホームにカメラを向ける人の姿がはっきりと見えた。

ドアが開き、乗客が降りてきた。皆、長旅の疲れを見せない表情である。白鳥号に乗って遠くから来たと見られる家族連れが、自分たちの乗ってきた車両の横で記念撮影をしていた。

最後の乗客が降りてしばらくしてドアは閉まった。

店町は宗像の横に立って白鳥号を見つめている。二人は人ごみを掻き分けて先頭車両付近へと移動した。テレビ局のインタビューに答えている人の姿があった。

やがて白鳥号は、汽笛を一回鳴らしてゆっくりと動き出した。

小窓から手を振る運転手の白い手袋が、時代の経過を告げていた。

「白鳥号、ありがとう!」「ばんざーい、ばんざーい!」

よりいっそう大きな声だった。

白鳥の姿を模した特製のヘッドマークが離れていく。

店町が隣を見ると、宗像がうっすら涙を浮かべて立っていた。じっと眺めるその目は、白鳥号とともに走り続けてきた自分の人生を振り返っているように店町には思えた。店町も目頭を熱くした。宗像は声にこそ出さなかったが、白鳥号にありがとうと言っている。店町も、心の中で白鳥号にありがとうと言った。

白鳥号が作り上げてきた様々な人間模様の一こまに、宗像の思い出も凝縮されている。その中身は本人にしかわからないが、断片的な思い出話を聞いていた店町には、宗像が感じている寂しさを想像することができた。それは祭り後の鉾が解体されていく様子を、明け方の空気の中で遠巻きに眺めているのに似た寂しさだった。鉾は翌年に再び組まれて輝きを取り戻すが、特急白鳥号の走る姿は記録と記憶でしかよみがえらない。

ヘッドマークは、遠く小さくなった。その小さな水色の光は、涙でにじんで見えなくなった。

二人はしばらく無言でそこに立っていた。白鳥号が走り続けた歳月に想いを巡らせながら二人はしばらくそこにいた。

暴走気味の社長に疑念を抱いてしまったこともあったが、この人にもう少し付いていこう。自分はなんと生意気な考えをしていたのだろうか。店町はそう思った。

— 第18章 終 —