――会社を強くしたのではなく、力が出る条件を整えた
2024年8月、私は株式会社パントスの代表取締役に就任しました。
振り返れば、その後に進めてきたことは、事業承継型M&A後のPMI(Post Merger Integration=M&A成立後の経営統合)そのものでもありました。組織や制度を一度に作り替えるのではなく、顧客との信用、社員の不安、財務、製品、情報共有、役割分担といった変数を一つずつ整えていく。その過程を、この物語では実際に起きた出来事から振り返ります。
計測機器や記録計などを長く作り続けてきた、小さな製造会社です。
この会社には、製品がありました。
技術がありました。
長く働いてきた社員がいました。
そして、長年その製品を使い続けてくださっているお客様がいました。
それでも、後継者不在や業績低迷などが重なり、一時は会社そのものがなくなる可能性が現実味を帯びていました。
私が引き継いだのは、順調に成長している会社ではありません。
けれど、何もない会社でもありませんでした。
むしろ今振り返ると、すでに多くのものを持っていた。
ただ、それらが同じ方向を向き、十分に力を発揮できる状態ではなかったのだと思います。
消えかけていた会社
パントスの売上は、かつて約1億9,000万円あった時期から次第に縮小し、2023年には1億円を下回るところまで落ちていました。
本業での赤字も長く続いていました。
さらに、主力の一つであるアナログ記録計は、デジタル化によって市場そのものが縮小しています。
普通に考えれば、
「古い製品」
「縮小市場」
「赤字会社」
と見えるかもしれません。
しかし私は、少し違う見方をしていました。
市場が縮小しているなら、競合企業も撤退している。
それでも使い続けたいお客様は、どこかに残っている。
古い製品だから価値がないのではなく、長年使われてきたからこそ、新しい製品では簡単に置き換えられない用途もある。
なくなりかけているものの中に、まだ価値が残っていないか。
まず、それを探すところから始めました。
2024年8月30日、会社を引き受けた日
社員の皆さんと、新しい社長として初めて顔を合わせたのは2024年8月30日でした。
その前に、私はかつてパントスが使っていた宇治の旧社屋を一人で見に行きました。
そこで働いてきた人たちが、この会社の将来についてどんな不安を感じ、どんな悔しさや寂しさを感じていたのだろう。
それを少しでも想像してから、皆さんの前に立ちたいと思ったからです。
新しい経営者が来たからといって、それまでの時間が否定されるわけではありません。
むしろ、残っていた製品も技術も信用も、そこで働いてきた人たちが守ってきたものです。
私は最初の挨拶で、若い人には、この先10年、20年とワクワクしながら働ける会社にしたい。
先輩社員には、できるだけ長くここで活躍したいと思ってもらえる会社にしたい。
そして引退した後にも、パントスが成長していく姿を見ることを楽しみにしてもらえる会社にしたい。
そんな話をしました。
今から考えると、かなり大きな約束です。
でも、この約束が、その後の経営判断の一つの基準になりました。
就任4営業日目、未来の地図を広げた
社員の皆さんと初めて会ってから4営業日目。
2024年9月5日、私は社内で中期経営計画を説明しました。
実は、この資料は社長になる前、7月中旬にはほぼ作り終えていました。
財務。
製品別の売上。
市場と競合。
既存顧客。
商社網。
Web。
製品戦略。
人材。
企業プロモーション。
そして、その先の成長。
まだ社内のことを十分に知っているとは言えない新社長が、いきなり会社全体の未来について話す。
前任の取締役からは、「これまで、こんなことをしてくれた社長はいなかった」という趣旨の言葉をいただきました。
私が最初に変えたかったのは、数字そのものよりも、会社の時間の向きだったのかもしれません。
「この会社は、この先どうなるのだろう」
という不安から、
「この会社を、これからどうしていこう」
という未来へ。
まだ、誰も完全には信じていなかった
もちろん、社長が未来を語ったからといって、すぐに社員全員が信じるわけではありません。
後になって私は、年末の挨拶でこんな話をしました。
最初は、「自分たちを元気づけるために、そう言っているだけなのではないか」と思っていた人もいたと思います。
それが少しずつ、
「もしかしたら、行けるのかもしれない」
に変わっていった。
さらに、発言が前向きになり、行動も少しずつ同じ方向へ向き始めた。
私は会社を変えるとき、最初に全員を説得し切る必要はないと思っています。
未来を示す。
一つ結果を出す。
それを見た誰かの温度が少し上がる。
その人の行動が変わる。
その行動が、また別の人へ伝わる。
そんな連鎖反応の方が、組織には自然なのだと思います。
会社を引き継ぐということは、約束を引き継ぐことだった
会社の中だけを見ていればよかったわけではありません。
2024年春、パントスが廃業する可能性があるという情報が、主要顧客にも伝わっていました。
その一つが、日本の基幹産業を支える世界的な自動車メーカーT社です。
T社では、長年パントスが提供してきた専用装置について、今後の供給や保守がどうなるのか、大きな不安を持たれていました。
代替策を検討されるのは当然のことです。
新体制発足後、まだ私自身が先方へ挨拶に伺う前のこと。
前任社長宛てに、「今後も継続できるのか」という趣旨のメールが届きました。
休日でしたが、CCに入っていた私は、挨拶を兼ねて返信しました。
「この装置は継続します。」
会社を引き継ぐということは、資産や製品だけを引き継ぐことではありません。
それまで会社がお客様にしてきた約束も、引き継ぐことなのだと思います。
新聞一面の翌日、T社へ
2024年9月11日、日刊工業新聞の取材を受けました。
9月19日、パントスの事業承継についての記事が一面に掲載されました。
→ 日刊工業新聞「セイワ技研、アナログ型記録計を承継 中小結集し成長狙う」を見る
2024年9月19日付。記事本文の全文閲覧には会員登録・ログインが必要です。
そして、その翌日9月20日。
以前から決まっていたT社への新体制初訪問の日でした。
私は一面記事をA3カラーで印刷し、持参しました。
先方には一つ、気になっていたことがありました。
「新体制になったと聞いているのに、Webサイトには何も出ていない。」
それは、不安になって当然です。
私は、新聞掲載までは新体制についての公表を控えるよう新聞社から求められていたことを説明しました。
手元には、前日に出た新聞があります。
疑問はすぐに解けました。
そして改めて、専用装置を今後も継続し、さらに将来を見据えた後継機も開発することを約束しました。
新聞掲載によって訪問が実現したわけではありません。
アポイントは、ずっと前から決まっていました。
だからこそ、この偶然のタイミングを私は今でも少し面白く感じています。
運そのものは、コントロールできません。
けれど、運が来たときに使える状態を準備しておくことはできます。
危機を避ける話から、未来を一緒に作る話へ
最初、T社が求めていたのは、今使っている装置を今後も使い続けられる安心でした。
ところが、信用が戻ると話は変わります。
「今の装置を止めないでほしい」という守りの話から、
「次の装置を一緒に作ろう」
という未来の話へ。
しかも、長年パントスの製品を使ってきた現場には、操作性や試験の継続性など、単なる仕様書では表せない価値が蓄積されていました。
そこで私は気づきました。
会社が持っている資産は、貸借対照表に載っているものだけではありません。
お客様の現場に残っている経験。
「この会社の製品でなければ困る」と思っていただける関係。
それもまた、長い時間をかけて作られた大切な経営資産でした。
会社を「会社らしく」する――M&A後のPMI
再建というと、大きな改革や大胆なリストラを想像するかもしれません。
私たちが最初に行ったことの多くは、もっと地味なものでした。
業績を社員へ共有する。
会社の予定を見えるようにする。
社内チャットを使う。
規程を整える。
誰が何を担っているのかを整理する。
社員の活躍を、皆で知る。
会社の数字を、社長だけが知っているものにしない。
どれも、一つだけを見れば大きな改革ではありません。
でも、小さな組織では、一つひとつの情報の流れ方が、会社全体の動きやすさを大きく変えます。
1億5,000万円を、社員が動かせる数字に変える
2025年2月7日。
私は約34分をかけて、第26期の結果と、第27期の目標について社員へ説明しました。
第27期の売上目標は1億5,000万円。
しかし社員から見れば、1億5,000万円という数字は大きすぎます。
そこで、月平均1,250万円へ分解する。
さらに製品別に、
既存製品はいくら。
保守やサプライはいくら。
新規開発はいくら。
と分けていく。
すると、巨大な年間目標が、日々の行動で動かせる変数へ変わります。
私はこの頃から、月が終わるたびに会社の数字を社員へ知らせるようになりました。
目標より下なら、何か追加でできることはないか。
上なら、少し先の仕事を前倒しできないか。
現状を知っていれば、人は考えることができます。
数字を共有する目的は、社員を数字で管理することではありません。
考えるための現在地を、皆で共有すること。
そこに意味があると思っています。
縮小市場だからこそ、残っている需要を見る
アナログ記録計の市場は縮小しています。
競合企業も次々と撤退していました。
私は、この状況を「市場がない」とは考えませんでした。
むしろ、
競合が減ったのなら、まだアナログを必要としているお客様はどこにいるのか。
撤退したメーカーの製品を使っている人は、どこにいるのか。
そのユーザーを知っている商社は、どこなのか。
と考えました。
Web、検索、業界サイト、ブログ、SNSなどで需要の信号を拾う。
そして反応があったところへ、人が直接出向く。
当時の資料では、これを
「空中戦」のあとに「地上戦」
と表現していました。
限られた人数で全国を片っ端から回ることはできません。
だから、まず信号を観測する。
そして可能性が見えた場所へ資源を投入する。
振り返ると、これも私が研究者だった頃から続けてきた考え方と、あまり変わらないのかもしれません。
売上よりも、利益
もう一つ、社員へ繰り返し話したことがあります。
売上だけを追わないこと。
会社を存続させるのは、売上ではなく、最終的に残る利益です。
例えば、お客様に「少し高いですね」と言われたから2万円値下げする。
その2万円は、そのまま会社から消えた利益です。
逆に、こちらが提供している価値を正しく理解し、お客様にも十分納得いただけるなら、適正な利益をいただくべきです。
ただし、すべてのお客様から一律に高く取ればよいという話でもありません。
長い取引。
案件ごとの事情。
相手にとっての価値。
こちら側の負担。
それらを見ながら、双方にとって長く成立する価格を探す。
価格もまた、一つの変数です。
自分たちが、自分たちの価値を知らなかった
展示会へ行ったとき、何度かこんな声を掛けられました。
「もしかして、記録計のパントスさんですか?」
会社名を名乗っても「何をされている会社ですか」と聞かれるのが普通の世界で、相手の方から製品と会社を覚えてくださっている。
私は社員へ、
「これはブランド力なんです。会社そのものの価値なんです。」
と話しました。
経営状態が苦しくなると、自分たちの価値まで低く見積もってしまうことがあります。
「仕事をいただけるだけでありがたい」
となれば、価格交渉も弱くなる。
でも、お客様が本当に必要としているものを見れば、自分たちが思っていた以上の価値が残っていることがあります。
会社再建とは、新しい価値を作るだけではありません。
すでにある価値を、自分たち自身がもう一度発見すること。
それも大きな仕事でした。
本来持っていた力が、一筋に揃った
2025年末。
第27期の売上は、約1億8,000万円を超えるところまで伸びました。
前年の約1億1,500万円から、およそ1.6倍です。
長く続いていた本業での赤字状態から抜け出し、過去からの累積損失も解消できるところまで来ました。
第三者の専門家からは、かなり大きな再建成果だと評価していただきました。
ところが、私自身にも社員にも、あまり「ものすごく頑張った」という感覚がありませんでした。
無理な長時間労働をしたわけでもありません。
大口の新規顧客を突然獲得したわけでもありません。
画期的なヒット商品を投入したわけでもありません。
むしろ製品数は減っていました。
年末の挨拶で、私はこう話しました。
本来パントスが持っていた力、製品力、皆さんの力、協力企業や仕入先との関係、お客様との信頼。そういったものが一筋に揃った結果だと思っています。
会社を強くしたというより、
もともと持っていた力が、自然に出る条件が整っていった。
今は、そんなふうに考えています。
「まだ武器を温存している」
年末挨拶では、もう一つこんな話もしました。
「まだ武器を温存しているんです。」
本格的な新規顧客開拓。
自社資金による新製品開発。
新しい技術者の採用。
新しい市場への挑戦。
そうした本来の「攻め」は、まだ十分に使っていませんでした。
まず既存の資産を正常に機能させ、財務を整える。
それから新しいリスクを取る。
この順序は、とても大切だと思っています。
利益は、会社が「NO」と言える力になる
利益を出すという話は、ときに「お金儲け」の話として受け取られます。
私にとっては少し違います。
会社に十分な余力があれば、
無理な価格で買い叩かれる仕事を断れます。
横柄な取引条件なら、「その条件ではお受けできません」と言えます。
必要な人材を採用できます。
新しい製品へ投資できます。
職場環境を良くすることもできます。
つまり利益は、経営者の点数ではありません。
会社の選択肢を増やし、社員や事業の尊厳を守るためのエネルギー。
私は、そう考えています。
パントス湖を飛び立った白鳥たち
2025年12月24日。
私は社内チャットに、一つの文章を投稿しました。
「パントス湖を飛び立った白鳥たち」
最初に一羽が飛ぶ。
その後ろに、もう一羽が続く。
さらに白鳥が続き、気がつけばV字編隊が自然にできている。
先頭が疲れれば後ろへ下がり、元気な鳥が前へ出る。
一番後ろの鳥がはぐれないように、皆で遠い目的地へ向かう。
私はこれを、
「渡り鳥経営」
と呼ぶようになりました。
最初から、この名前の経営哲学を作って社員へ当てはめたわけではありません。
実際に一年余り会社を運営してみると、一人がすべてを引っ張るより、それぞれが得意な場所で前へ出る組織の方が自然だと感じるようになりました。
そして、それは自然界の渡り鳥の姿によく似ていました。
自然科学は、会社の外にあるものではありません。
人も組織も、自然の一部です。
2025年12月24日、社内チャットに掲載したクリスマスメッセージです。
野戦病院型経営から、予防医学型経営へ
会社が不安定なときには、次々と目の前の問題が起きます。
そのたびに誰かが走り、何とか止血する。
それでは、優秀な人ほど疲れていきます。
私はこれを「野戦病院型経営」と考えるようになりました。
もちろん、問題が起きたら対応しなければなりません。
でも本来やるべきことは、問題が起きにくい構造を先に作ることです。
情報を共有する。
余白を作る。
属人化を減らす。
人を補充する。
断るべき仕事を断る。
将来のトラブルを先に想像する。
それが、私の考える「予防医学型経営」です。
若手を育てるのではなく、育つ条件をつくる
2026年になると、パントスには新しい技術責任者も加わりました。
それまで一部の人に集中していた役割を、少しずつ分担できるようになります。
すると若手は、失敗したときに誰かが最後に支えてくれる条件の中で、少し難しい仕事へ挑戦できます。
ベテランは、自分しかできなかった仕事を少しずつ渡せる。
責任者には、新しい開発へ使える時間が生まれる。
社長も、すべての現場を見る必要がなくなり、次の市場や未来を考えられる。
一人増えただけで、全員の能力が出やすくなることがあります。
だから私は、
人を育てるのではなく、育つ条件をつくる。
という考え方を大切にしています。
未来から、現在を見る
社員との面談では、ときどき現在の仕事とは少し離れた話もします。
例えば、
「幸せらしさの前借り」
という話。
今だけ楽をして、将来の自分へ負担を送り続けていないか。
逆に、今少し努力しておくことで、十年後の自分から「ありがとう」と言ってもらえることはないか。
そして、私が社長を引退した後、今いる社員一人ひとりが、どんな立場で、どんな職責を担っているのか。
そんな未来も想像してもらいます。
会社は、社長一人の作品ではありません。
一人の強い後継者が、前の社長を完全にコピーする必要もありません。
それぞれが、自分の場所で必要な機能を担える組織になればいい。
渡り鳥のように、必要なときに必要な人が前へ出る。
最終的に目指しているのは、そんな会社です。
私はずっと、同じものを見ていたのかもしれない
私自身は自然科学を学び、研究開発の仕事をしてきました。
その後、営業、個人事業、技術営業、そして会社経営へと仕事は変わりました。
でも、やっていることはあまり変わっていないように思います。
散らばった事実を観察する。
変数を探す。
制約条件を知る。
関係性を考える。
時間軸を加える。
全体が壊れる可能性を先に考える。
そして、無理なく全体が成立する条件を探す。
対象が身体だったこともあります。
技術だったこともあります。
市場だったこともあります。
今は、それが会社になっています。
数字の最後に、人が残る
2025年12月26日の年末挨拶。
私は売上や利益、V字回復について話しました。
第三者から見ても大きな成果だったことも伝えました。
けれど最後は、数字では終わりませんでした。
その日に締めていた一本のネクタイに込めた、ある方への感謝を話して締めました。
会社の数字の裏には、いつも人がいます。
製品を作った人。
長年守ってきた人。
買い続けてくださった人。
支えてくださった人。
そして、これから続きを作る人。
だから私は、会社再建を数字だけの物語にはしたくありません。
ここから先は、まだ書かれていない
パントスの物語は、まだ始まったばかりです。
財務を安定させる。
既存製品を守る。
顧客との信用をつなぐ。
新しい製品を作る。
人を迎える。
技術を次へ渡す。
AIや新しい道具も使う。
そして、いつか今の社長がいなくなっても、会社は自分たちで飛び続ける。
そこまで行って、初めて「事業承継」が完成するのかもしれません。
私は今、その途中にいます。
このページには、これからも会社の変化とともに、少しずつ続きを書き加えていきたいと思っています。
※本ページは、株式会社パントスの事業承継後に実際に起きた出来事、社内向け経営計画・業績報告、当時の発言や記録等をもとに、現在の視点から振り返っているものです。取引先・関係者の情報については、公開に適した範囲へ一般化・匿名化して記載しています。個別企業の内部事情や非公開情報を紹介することを目的としたものではありません。
