ARCHIVE|2002

1995年のスキー事故から、およそ7年。

27歳だった私は、自分に起きた事故と、その後の身体を題材に一本の長い文章を書こうとしていました。

題名は、『磨りガラスの視界』。

原稿は完成しないまま、古いWordファイルの中に残っていました。

2026年、52歳になってその文章を読み返しました。

そこにいたのは、まだ脳脊髄液減少症という診断名を持たず、自分の身体に何が起きているのかを理解しようとしていた、27歳の自分でした。


事故そのものを書こうとしたのではなかった

原稿の前半には、スキー事故、搬送、緊急手術、そして入院生活がかなり細かく残されています。

事故の直後、意識が途切れていく感覚。

ぼんやりとした視界。

自分の身体を動かそうとしても、思うように動かない感覚。

手術後、首の筋肉が自分の頭を支えられず、頭そのものが鉄の塊のように感じられたこと。

当時の私は、記憶に残っている身体感覚を、一つひとつ文章にしようとしていました。

ただ、今になって読み返してみると、私が本当に書こうとしていたのは、事故そのものではなかったように思います。

命は助かった。

医師からは、順調に回復していると言われた。

それでも、自分の身体には以前とは違う何かが残っている。

その「何か」を、自分なりに観察し、理解しようとしていたのだと思います。


「磨りガラスの視界」という題名

視界は磨りガラスに似ていた。

原稿の後半に、この題名につながる記述があります。

水に濡れている間は向こう側が比較的よく見える磨りガラスが、乾きはじめると周囲から白くなり、やがて向こう側が見えなくなっていく。

事故の際に経験した視界を、当時の私はそのように表現していました。

そして原稿には、

私はその視界を数十分の間に体験し、その後七年かけてその意味を理解しようとした。

という趣旨の文章も残っています。

事故そのものは、一瞬の出来事でした。

けれど、その出来事が自分にとって何だったのかを理解するには、ずっと長い時間が必要だった。

27歳の私は、すでにそんなことを感じ始めていたようです。


診断名を持たなかった頃の記録

原稿は後半になるにつれて、完成した文章ではなくなっていきます。

章番号が入っていない部分。

これから書こうとしていた場面。

自分自身に向けた短いメモ。

物語の骨組みだけが残っているところもあります。

その断片の中には、事故後に経験していた身体の違和感も記録されていました。

思った言葉が、うまく口に出ない。

持っていた箸を落としてしまう。

椅子から立ち上がると、ひどい立ちくらみに襲われる。

気圧の変化。

前線の通過。

整体や鍼治療を探したこと。

もちろん、当時記録したすべての症状を、現在の診断名から遡って説明することはできません。

それをするつもりもありません。

ただ一つ確かなのは、まだ診断名を持たなかった当時の私が、自分の身体に起きている変化を観察し、原因を探そうとしていたということです。

今の知識で書き直された記憶ではありません。

その時点の自分が、その時点で見えていたものを書き残した記録です。


27歳の私は、物語を閉じようとしていた

原稿の終盤には、こんなメモも残されていました。

完全復活には7年かかる。肉体的にではなく、精神的に。

今読むと、とても興味深い言葉です。

27歳の私は、事故から約7年というところで、この出来事に一度意味を与え、物語を閉じようとしていたのだと思います。

事故に遭った。

生き残った。

長い時間をかけて回復した。

そして、その経験から何かを得た。

おそらく当時の私は、そのような形で一度この物語を成立させようとしていました。

しかし実際には、身体の物語はそこで終わりませんでした。

さらに長い時間が流れました。

事故から24年後の2019年、私は脳脊髄液減少症の診断を受けます。

そして2026年。

52歳になった私は、古いパソコンの中に残っていたこの原稿を、もう一度読むことになりました。


完成しなかったから残ったもの

『磨りガラスの視界』は、完成した作品ではありません。

途中には文章になっていない部分もあります。

構成も整っていません。

今の自分なら、まったく違う書き方をするところもあると思います。

けれど、完成しなかった文章には、完成した文章とは違うものが残ります。

後から整えられていない、その時点の理解。

まだ名前の付いていない違和感。

まだ答えにたどり着いていない問い。

それらが、そのまま残っています。

『磨りガラスの視界』は、小説として完成しませんでした。

けれど今の私にとっては、27歳の自分がその時点で何を見て、何を理解しようとしていたのかを残してくれた、一つの記録になっています。

そして、52歳になった今でも、私はおそらく同じことを続けています。

自分に与えられた条件を観察し、理解し、その中でどう生きるかを考えること。

ただし、27歳の自分が現在の人生哲学を持っていたわけではありません。

後から振り返ったとき、違う時期、違う場所で、似た問いを何度も考えていたことに気づいた。

そのくらいの距離で、この未完稿を残しておきたいと思います。