2026年、昔の資料を整理している途中で、懐かしい文章が出てきました。
正確には、文章を書いたこと自体を忘れていたわけではありません。
新潟大学を卒業するとき、大学の広報誌に文章を書いたことは覚えていました。
けれど、そこに自分が何を書いていたのか。
その細かな言葉までは、もうほとんど記憶から消えていました。
タイトルは、
「可能性って何だ!?」
1997年3月。
22歳の私は、新潟大学を卒業し、大学院へ進もうとしていました。
写真は、事故の前だった
その文章には、一枚の写真が添えられていました。
マウンテンバイクの4時間耐久レースを走り終えた直後の写真です。
おそらく1994年の春か秋。
1995年3月15日のスキー事故よりも前でした。

4時間を一人で走り切り、もう完全に燃え尽きています。
当時の私は、スキーをし、マウンテンバイクに乗り、長時間の耐久競技にも出ていました。
身体を使い切ることに、それほど抵抗がありませんでした。
むしろ、自分がどこまでいけるのかを試すこと自体が楽しかったのだと思います。
その写真を、事故から約2年後の私は、大学卒業時の文章に使っていました。
「自分の可能性をどこまで広げ、どこまで伸ばすか」
当時の『新大広報』を読み返してみました。
そこには、こんな言葉が残っていました。
自分の可能性をどこまで広げ、どこまで伸ばすかを一つのゲームとして楽しんだ。
そして、
あるときはスポーツで、またあるときは勉強で。
と続いています。

1997年の私は、自分の可能性を広げていくことを、すでに「一つのゲーム」のように捉えていたようです。
今読んでも、不思議なほど違和感がありません。
むしろ52歳になった現在の自分が使っている言葉に、どこか似ています。
何か一つだけで人生全体を評価するのではなく、いくつもの分野を経験し、その時々で自分の可能性を試してみる。
当時は、それをうまく説明する言葉を持っていませんでした。
ただ、「可能性」という言葉を使っていました。
ただし、この文章を書いていた身体は、写真の頃とは違っていた
ここには、少し複雑な時間があります。
MTBの写真は、事故前です。
ところが「可能性って何だ!?」を書いた1997年には、すでに私は原因の分からない身体的不調に悩んでいました。
1995年の事故からしばらくして、首、肩、背中の痛み、強い倦怠感やふらつきなどが現れるようになっていました。
しかし、その原因が何なのかは分かりませんでした。
当時の私は、それを「むち打ちの後遺症」だと考えていました。
そして「可能性って何だ!?」を書いた数か月後、1997年6月4日には、むち打ちについて情報発信していた人へ長い手紙を書いています。
そこには、雨の日に体調を崩して学校を早退したこと。
ひと月に1、2日は動けなくなること。
そして、いつか自分と同じような症状に悩んでいる人たちへ、何らかの形で貢献したいと考えていることを書いていました。
同じ1997年です。
一方では、
「可能性って何だ!?」
と書いていた。
もう一方では、身体が思うように動かず、その理由を必死に探していました。
今になってみると、この二つは矛盾していなかったのだと思います。
1997年、22歳の私が「むち打ち」のサイトへ送った手紙 →
変えられないものが増えたから、変えられるものを探していた
事故以前の私は、身体そのものを使って、自分の可能性を広げていました。
速く滑る。
長く走る。
もっと遠くへ行く。
もっと限界までやってみる。
ところが、身体が思うように動かなくなってからは、同じ方法が使えなくなりました。
それでも「可能性」というものを諦めたわけではなかった。
おそらく私は、
変えられなくなったものの周囲で、まだ変えられるものを探し始めた。
のだと思います。
今なら、そのことを、
「与えられた変数と制約条件の中で、人生と幸せを成立させる。」
と表現します。
でも22歳の私は、そんな言葉を持っていません。
ただ、
「可能性って何だ!?」
と問いかけていました。
29年後に、同じゲームをしている
この文章を読み返していて、少し笑ってしまいました。
52歳になった現在も、私は似たようなことをしています。
経営。
科学技術。
文章。
AI。
園芸。
そして、これからもう一度取り組もうとしている講演。
対象はずいぶん変わりました。
身体を限界まで追い込むことも、ほとんどなくなりました。
けれど、
「自分の可能性をどこまで広げ、どこまで伸ばすか」
というゲームそのものは、どうやら終わっていなかったようです。
むしろ、昔より変数は増えました。
身体という制約条件も増えました。
失敗したときの影響も、若い頃よりよく分かるようになりました。
だから現在は、ただアクセルを踏むだけではありません。
立ち止まる。
考える。
やめる。
待つ。
条件を変える。
時間を味方につける。
そうしたことも含めて、ゲームになりました。
1997年の自分へ
もし、1997年の自分に一言だけ伝えられるとしたら。
「その問いは、まだ終わらないよ」
でしょうか。
22歳の私は、その後の人生を知りません。
原因の分からない身体的不調に病名がつくまで、さらに長い時間がかかることも知りません。
会社員を辞めることも。
小説を書くことも。
会社を経営することも。
52歳になって、もう一度講演をしようと考えることも。
何も知りません。
それでも、
「可能性って何だ!?」
という問いだけは、ちゃんと未来まで持ってきてくれました。
29年前の自分から受け取った問いを、今度は現在の自分が続きを考えてみたいと思っています。
※「可能性って何だ!?」は、新潟大学『新大広報』平成8年度 第4号(通刊124号、1997年3月24日発行)「卒業にあたって」に掲載された文章です。
