僕の身体は気圧計

――2001年、病名を知らない私が書きかけていた物語

2026年、昔の文章を整理している中で、一つの長い原稿が出てきました。

タイトルは、

『僕の身体は気圧計』

筆名は、麦野万帝

2001年頃、26歳の私が書いていた未完の物語です。

残っていた原稿は42ページ。

数ページだけの思いつきではありません。

小説のような会話があり、自分自身の事故の記録があり、過去に書いた文章が入り、途中からは現在の自分を振り返る文章へと変わっていきます。

そして最後は、いくつかの文章の断片を残したまま、途切れています。

完成させられなかった作品。

けれど25年後の今から見ると、この未完成の原稿だからこそ残っているものがあるように思います。


26歳の私は、自分の身体を物語にしようとしていた

物語の冒頭で、私は自分を「怪我をよくする人」として登場させています。

そして、1995年のスキー事故からもうすぐ七年が経つのに、後遺症は続いていると書いていました。

普通に歩ける。

普通に会話もできる。

外から見れば、健康に見える。

それでも、自分にしか分からない身体の不具合がある。

外から見れば僕の身体はいたって健康。でも、僕の身体は気圧の変化と連動している。

2019年に「脳脊髄液漏出症(脳脊髄液減少症)」と確定診断される、はるか前です。

26歳の私は病名を知りません。

ただ、自分の身体で起きている現象だけは観察していました。

何が原因なのか。

何と連動しているのか。

何をすると悪くなり、何をすると少し楽になるのか。

答えは見えない。

だから、見える変数を探していたのだと思います。


「しばらくしたら雨が降るよ」

物語の中に、今読み返してもよく覚えている感覚が、そのまま場面として残っていました。

作中の「お姫」と喫茶店へ向かう場面です。

「しばらくしたら雨が降るよ」

晴れているのに、なぜ分かるのかと聞かれ、主人公は答えます。

「うん。僕の首がうずくからね。僕の天気予報はほとんど外れないよ」

そして腕時計の気圧計を見る。

数値は下がり始めています。

やがて空が暗くなり、大粒の雨が降り出す。

原稿には、雨が降り始めると同時に身体が少し楽になる、と書いていました。

私はこの頃、自分の症状を「むち打ち」だと思っていました。

気象予報士になりたいわけでもないのに、気象について勉強しようとしていたことまで、物語の中に書いています。

病名は分からない。

でも、身体は何かを教えている。

その見えないものを、気圧という見える数字から理解しようとしていたのでしょう。


タイトルは、会話の中から生まれていた

この場面には、作品タイトルそのものにつながる会話があります。

「身体って便利だね」と言われた主人公は、こう返しています。

「ほんとに便利って言えるのかなあ。僕の身体は気圧計じゃないんだからさあ」

25年後に読むと、少し可笑しくもあり、少し切ない言葉です。

当時の私は、雨が来ることを身体で先に知ることができました。

それを冗談にすることもできた。

でも、その「気圧計」は、低気圧が近づくたびに痛みや倦怠感を伴うものでした。

便利な能力を得たわけではありません。

身体に起きている異常を、そう表現するしかなかったのだと思います。


「自然法則」という言葉も、すでにあった

この原稿を読み返していて、もう一つ驚いた部分があります。

現在の私は、人生や経営を考えるときにも「自然法則」という言葉を使うことがあります。

ところが26歳の原稿にも、その言葉が出てきました。

途中には、こんな文章があります。

治療は結局自分の意思でしかないんだよね。怪我するときも、治っていくときも自然法則に従うしかないっていうのが結論かな。

そして続けて、

よくなるのはごくごくゆっくりなんだけど、悪くなるのはあっという間。

と書いていました。

もちろん、これは26歳当時の私自身の身体についての理解です。

医学的な一般論として書いているわけではありません。

それでも、今の私には引っかかります。

良くなるのには時間がかかる。

壊れるときは速い。

だから、壊れない条件を先に考える。

現在、経営の中で考えている「全体的破滅を避けること」や「予防医学型経営」とも、どこかでつながっています。

26歳の私は経営者ではありません。

ただ、自分の身体を通して、壊れることと回復することの時間差を見ていたようです。


物語の中に、1995年の文章が入っていた

この原稿は、途中から大きく形を変えます。

「お姫」との会話を中心に進んでいた物語の中へ、私自身の過去の怪我の記録が長く入り始めます。

マウンテンバイクでの事故。

そして1995年3月15日のスキー事故。

木への激突。

救急搬送。

緊急の開頭血腫除去手術。

集中治療室。

退院。

そこには、現在の幹STORY「脳脊髄液減少症と生きる」で書いている出来事の原型ともいえる記録が残っています。

そしてその長い記録の最後に、さらに古い文章が差し込まれていました。

これらの怪我が僕の人生において、マイナスになるとは僕は思わない。

そして、その少し後に、

しかし、僕は、この怪我の重大さに気づくのに、一生かかるのかもしれない

と続きます。

末尾には、

1995.7.2.
武市真吾21回目の誕生日に

と記されていました。

ここは、少し慎重に扱っています。

現在手元にあるのは、2001年頃の『僕の身体は気圧計』の草稿です。

その中に、1995年7月2日付の文章として収録されているものです。

1995年当時の原稿そのものが別に残っていることを、現時点で確認できているわけではありません。

それでも、2001年の自分が、この言葉を自分の過去の文章として物語へ組み込んでいたことは確かです。


「この文章を書いたときはまだよかった」

そして、ここからさらに時間が一段進みます。

1995年の文章の後に、2001年頃の私は、

その後の武市真吾――あれから5年の年月が経過した

という文章を書き始めています。

そして冒頭に、こうあります。

この文章を書いたときはまだよかった。

この一文は、2026年の私にはかなり重く響きます。

1995年の私は、

「この怪我の重大さに気づくのに、一生かかるのかもしれない」

と書いていた。

その約5年後の私は、

「この文章を書いたときはまだよかった」

と書いていた。

そして2026年の私は知っています。

その2001年頃の自分も、まだ本当の病名を知りませんでした。

確定診断を受けるのは、2019年。

事故から24年後です。


18年後、同じ問いをApple Watchに託していた

2019年6月11日。

確定診断を受けてから数か月後、私はXにこんな投稿をしていました。

2019年6月11日、気圧変化と生体情報をApple Watchで蓄積し、体調不良のメカニズム解明につなげたいと考えていたX投稿のキャプチャ
2019年6月11日の投稿。確定診断後も、気圧と身体の関係を「測れる変数」と長期データから理解できないかと考えていました。

この投稿で私は、将来のApple Watchに、血圧計、皮膚電位計、酸素飽和度、運動の影響などを測るセンサーが搭載されることを想像していました。

そして、それらの生体情報と気圧変化を組み合わせ、多くの人のデータを長期間蓄積すれば、体調不良のメカニズムを解明できるのではないか。

さらに、その先に根本的な治療へつながる可能性があるのではないか。

そんなことを考えていました。

今読み返して興味深いのは、未来予測が当たったかどうかではありません。

2001年の私は、

自分の身体 + 腕時計の気圧計

から、見えない身体の変化を理解しようとしていました。

18年後の2019年には、それが、

気圧 + 複数の生体センサー + 多くの人の長期データ

へと広がっていました。

一人の身体だけでは分からない。

ならば、測れる変数を増やす。

時間軸を加える。

さらに多くの人のデータを重ねる。

その中から、共通する構造を探す。

会社で研究者をしていた時期は、すでにずっと前に終わっていました。

それでも、考え方まで研究者を辞めていたわけではなかったようです。


診断名がついても、問いは終わらなかった

2019年、私の身体にはようやく診断名がつきました。

それは大きな出来事でした。

でも、診断名がつくことと、自分の身体で起きているすべての現象が理解できることは同じではありません。

なぜ天候が崩れる前に身体が悪化するのか。

なぜ雨が降り始めると少し楽になることがあるのか。

身体の中では、その前後に何が変化しているのか。

1995年から続いていた問いは、病名を知っただけでは終わりませんでした。

だから私は、今度はApple Watchのような道具の進化に、その先の答えを探そうとしていたのでしょう。


そして、2001年の原稿は途切れている

『僕の身体は気圧計』は完成していません。

終盤になるほど、文章は物語から記録へ、記録から断片へと変わっていきます。

「その後の武市真吾」として書き始めた部分も、最後まで完成していません。

治療について書こうとした文章。

身体の不調についての断片。

日常の出来事。

会話の一部。

それらが残ったところで、42ページ目は終わっています。

なぜ完成させなかったのか。

今の私にも、はっきりした理由は分かりません。

ただ、読み返していると一つ感じることがあります。

26歳の私は、自分の身体について「物語として書く方法」を探していたのではないか。

身体のことを書きたい。

事故のことも書きたい。

でも、それだけでは小説にならない。

だから会話を入れ、日常を入れ、ユーモアを入れ、過去の文章まで持ち込んだ。

それでも、まだ一つの作品としてまとめ切れなかった。

そう考えると、この未完成さそのものが、当時の自分をかなり正確に残しているようにも思えます。


2001年には身体を書き、2005年には身体を書かなかった

その数年後、私は別の長編小説を書きます。

『風に向かって飛び立つ白鳥のように』

約三年をかけ、2005年秋に完成させた作品です。

興味深いことに、その小説では、自分のスキー事故についても、身体の後遺症についても一切書きませんでした。

2001年の私は、自分の身体そのものを物語へ入れようとしていた。

2005年の私は、身体のことを書かずに、仕事、人間、組織、家族、生き方を物語にした。

そして2026年。

私はもう一度、自分の身体について書いています。

今度は小説ではなく、

「脳脊髄液減少症と生きる」

という、自分自身の時間をたどるSTORYとして。

こうして並べてみると、自分でも不思議です。

2001年に書ききれなかったものを、25年後の自分が別の形で続きを書いているようにも見えます。


私はずっと、変数を探していた

2001年。

首が痛くなる。

腕時計の気圧計を見る。

気圧が下がっている。

雨が降り始める。

身体が少し楽になる。

2019年。

気圧だけでは足りない。

血圧や酸素飽和度、皮膚電位、運動の影響なども同時に測れないだろうか。

一人では足りない。

多くの人のデータを集められないだろうか。

2026年。

昔の原稿や投稿を読み返しながら、ようやく自分でも気づきました。

どうやら私は、ずっと変数を探していたようです。

身体の中で何が起きているのか見えなければ、外から観察できるものを探す。

一つの変数で説明できなければ、別の変数を加える。

その関係を考える。

時間軸を加える。

そして、見えない構造を想像する。

その対象が身体だったこともあれば、科学技術だったこともあります。

仕事だったことも、経営だったこともあります。

扱う対象は変わっても、やっていることは、あまり変わっていなかったのかもしれません。


未完だからこそ、残ったもの

完成作品なら、作者は不要な部分を削り、文章を整え、全体を一つの形へ仕上げます。

でも『僕の身体は気圧計』には、その整理が終わっていません。

だからこそ、26歳の私が何を考え、何を書こうとし、どこで立ち止まったのかが、そのまま残っています。

完成した小説として見れば、未完です。

しかし現在の私から見れば、

病名を知らない26歳の自分が、自分の身体を理解しようとしていた記録。

として、大切な一次資料になりました。


25年後の自分へ残されていた原稿

26歳の私は、この原稿を25年後の自分に読ませるために書いたわけではありません。

当然です。

でも、捨てずに残っていました。

そして52歳になった今、その文章を読み返しています。

当時分からなかった病名も知りました。

2001年には存在しなかった道具も、今では日常の中にあります。

それでも、問いそのものは終わっていません。

自分の身体で何が起きているのか。

人間の身体は、環境とどう関係しているのか。

そして、その理解を誰かの役に立つものへ変えられないか。

『僕の身体は気圧計』そのものを、今から完成させようとは思いません。

これは2001年頃の未完の原稿として、そのまま残しておきたいと思います。

その代わり、あの頃の自分が書き切れなかった続きを、現在の自分が別の文章で少しずつ書いていきます。


※本ページは、2001年頃に武市真吾が筆名「麦野万帝」で執筆した未完草稿『僕の身体は気圧計』と、2019年に本人が残した投稿等をもとに、2026年に現在の視点から読み返したものです。当時の原稿には、その時代の認識、表現、実在人物を想起させる記述や個人的な情報が含まれるため、原稿全文ではなく必要な部分を引用・要約して紹介しています。また、身体症状や治療に関する記述は本人の経験と当時の認識を記録したものであり、医学的な一般論を示すものではありません。

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